宗教が悪いのか!スピリチュアル

宗教が悪いのか!スピリチュアル

宗教が悪いのか!スピリチュアルから見る話をさせていただくが、安倍元総理が死去した話について、旧統一教会との関連がある中で、宗教団体に対し恨みのある犯罪者の話がある。

この宗教団体は、高額なお金を献上させるものでもあり、犯人の母親が多額のお金を献上し破産した中での恨みの出来事であった。

Yahoo!ニュースには、このニュースのコメントに対し、宗教などなくなった方が良いとの話があったのである。

また、宗教団体に対し税金を取らないのがおかしいとのコメントが割と多く見受けられた。

アメーバニュースで、宗教団体は、利益を目的にするのではなく、心の拠り所などを提供する社会的に貢献する、公益社団法人と変わらないものであり、これに照り合わせて宗教法人が存在する話がされていた。

理屈としては、建前上納得のいく話であるが、宗教団体によっては旧統一教会のように、信者から多額のお金を献上させる宗教団体も数多く存在する。

日本人の中には、自分自身が宗教と関係がない生き方をされている人々もいると思われるが、食事の作法などは中国に渡っていた仏教の僧が持ち帰ってきたものであり、何も、全く関係がない話でもない。

宗教が悪いのか!スピリチュアル

また、昔に至っては、例えば、農民が信仰していた浄土宗などの価値観を共有することによって、それが、集団としてのまとまりが表れていたものであり、宗教が決して悪く働いていたばかりでもない。

まずは、宗教が悪いのかと思われる心情についてからの話である。

心理学者のフロイトは、人が食事をするにしても睡眠をとるにしても用を足すにしても、少なからずそこに快感が生じるものであり人は快感を求める生き物としてそれを快感原則と提言された。

極端な話、存在感=快感と言っても過言ではなく、幸せを感じれば強い存在感と強い快感も同時に感じることができるであろう。

存在感を感じられないのは、ただ存在感を感じられないだけではなく、人の肉体と精神はお互い影響与え合っているものであり命の危機としてストレスも生じやすくなる。

ストレス反応は、ストレスを与えている対象に対し攻撃、もしくは、逃避の選択状態に置かれ、どちらにしてもエネルギーを必要とするものであり心身にエネルギーも生み出しやすくなるのだ。

現在、インターネットの普及に伴い、快感を与えてくれる、自分自身の存在感を与えてくれるものが増えている傾向にある。

宗教が、心の拠り所の存在感を与えてくれる経験がない人にとっては、無価値としての気持ちも現れやすく、社会に弊害を与える宗教に対し排除したい気持ちが現れやすくなる場合もあるであろう。

魂の成長、このブログでは何度も話をさせていただいているが、知識の成長が知識の一つ一つの気づきであり、心の成長である霊格の成長も同じく心からの一つ一つの気づきである。

霊格が高まれば、精神的な意味で存在力が高まり、他者の心を満たす創造力も高まり、心の気づきが多い分だけ精神的な意味で物事を見る視野も広がりやすくなる。この話は、難しい話ではなく精神的な意味で大人である。

霊格が低いとは、精神的な意味で存在力が弱く、他者の心満たすよりも自分の心が満たされたい気持ちを優先になりがちであり、心の気づきが少ない分だけ精神的な意味で物事を見る視野も狭くなりがちになる。この話も難しい話ではなく、精神的な意味で子供だ。

霊格が低いと、精神的な意味で視野が狭く、宗教について理解する力も弱い。

日本の教育は、知識の一つ一つの気づきのみに価値を置く傾向が高く、ペーパーテストの点数が高ければ人として価値が高い社会的な風潮もあり、心からの一つ一つの気づきの成長が弱く、全員とは言い切れないが霊格が低い人々も現れやすくなっている。

宗教が悪いのか、霊格が高い人であれば、宗教が悪いのではなく、人が悪いと考えるものでもあるであろう。実際に、宗教によって救われた人々もいるものであり、悪いものだけに意識が高まりやすくなるのも霊格が低い証である。


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