現代人に霊感を鍛えるのが危険
現代人に霊感を鍛えるのが危険
現代人に霊感を鍛えるのが危険の話について、スピリチュアルから見ると危険な姿が考えられる。
霊感を鍛える方法については、様々な方法があるが、瞑想や滝行などの荒修行など、漫画の影響によってそのようなことが紹介されていることもあるであろう。
まずは、霊感について、霊能力者の江原啓之氏は、誰にでも霊感があり感度の違いにしか過ぎないとおっしゃっている。
確かに、誰にでも霊感があるものであるが、この言葉を聞いたとしても自分自身に霊感がないと思われている方がほとんどでないであろうか。
霊感とは、誰にでもあり、幽霊にも心があり、高次元の存在にも心があり、人々にも心があり心を感じる力である。
そして、人々の心の奥底が全て繋がっている考えがあり、その先は、心の世界である霊的な世界とも繋がっている。
霊感とは、例えば、他人と握手をした際、個人的な独特の雰囲気が伝わってくると思うが、それが心を感じる小さな霊感の働きだ。
瞑想は、心の奥が全て繋がっている、霊的な世界と繋がりを高めてくれる取り組みでもあり、霊感を鍛える方法として瞑想は間違った話ではない。
滝行なども同じく、外部との刺激を遮断する力も現れやすく、神経を過敏に働かせる力として霊感鍛える方法でもある。
ただし、霊感がある人が、全員、このようなことをして身につけたものではなく、心に意識が高い中で自然と身につけた人がほとんどであろう。
魂の成長、このブログでは何度も話をさせていただいているが、知識の成長が知識の一つ一つの気づきであり、心の成長である霊格の成長も同じく心からの一つ一つの気づきである。
霊格が高まれば、精神的な意味で存在力が高まり、他者の心満たす創造力も高まり、心の気づきが多い分だけ物事を見る視野も広がりやすくなる。この話は、難しい話ではなく精神的な意味で大人になる話だ。
霊格が低いとは、精神的な意味で存在力が弱く、他者の心満たすよりも自分の心が満たされたい気持ちを優先になりがちであり、心の気づきが少ない分だけ物事を見る視野も狭くなりがちになる。この話も、難しい話ではなく精神的な意味で子供だ。
霊格が低い人が、霊感を鍛えると、霊格が低い悪霊を引き寄せることになり、何かしらの弊害が現れやすくなる。
これが、霊感を鍛えると危険な話として挙げられる。
日本の教育は、知識の一つ一つの気づきのみに価値を置く傾向が高く、ペーパーテストの点数が高ければ人として価値が高い社会的な風潮もあり、全員とは言い切れないが、霊格が低い人々も現れやすくなる。
また、多くの方が、霊感について特別な能力だと思われている傾向もあり、特別な人間になったと錯覚も現れやすく、うぬぼれとして現れやすくなる人もいるであろう。
最も望ましいのは、霊感を鍛えるだけに力を注ぐのではなく、例えば、音楽や絵画、心に何かしらの影響与えることについて取り組むのも望ましい。
絶対的な話ではないが、自己肯定感が低く、自己肯定感を求める人、無趣味な人に、霊感に対して魅力が現れやすく、悪霊に取り付かれる可能性が高い。
霊格とは、あくまでも相対的なものであり、絶対的な高さとしての霊格の高さは存在しない。
ここに意識が薄いと、これもまた、特別な人間になったと錯覚が現れやすくなり、霊感を鍛えるのが危険な姿として現れやすくなるであろう。
多くの方が、霊感について、心を感じる力として認識が薄く、まずはここに意識を向けるのも大切な話である。
人には2つのタイプが存在する。1つは頭で理解したものを心で判断するタイプと、心で感じたものを頭で理解をするタイプだ。
霊感が強い人は、後者として現れやすく、このステイについても忘れてはならない。
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