イノベーションが弱い日本の原因
イノベーションが弱い日本の原因
イノベーションが弱い日本の原因について、スピリチュアルから見るとその原因がいくつか見受けられる。
日本は、ものづくりの日本だとして世界的に誇らしげにあったが、現在、ものづくりの日本と言う言葉がなくなったものでは無いであろうか。
人の心が、ものづくりとして力を発揮していたものであり、イノベーションが弱い日本の原因は、その心に問題があるとして考えることもできるであろう。
日本には、戦前まで日本神道の価値観があり、日本神道には自然に心が宿る考え方があったものであり、ものづくりの日本としての源があった。
戦後、戦争に足を運んだのが日本神道の価値観であった考えが現れ、戦後の教育において心の価値観を教育で押し付けるのが良くない風潮が現れた。
ただ、心に対する名残はあるものであり、学生運動など心の在り方などに価値を置く人々が多くいたものである。
ただし、共産党の過激派が、ハイジャックや人を殺める出来事などを起こし、学生時代が良くない社会的な風潮が現れた。
それでも、私の子供時代は、手作りのラジコン、手作りのプラモデル、心に意識が高い道徳的なドラマや漫画が流行っていた時代でもあったのである。
それ以降、完成品としての既存のおもちゃなどが現れ、手で作るおもちゃや文化などが減っていた傾向にある。
その時代の子供が大人になった今、イノベーションが弱い人々が現れやすくなるのも当然であろう。
魂の成長、このブログでは何度も話をさせていただいているが、知識の成長が知識の一つ一つの気づきであり、心の成長である霊格の成長も同じく心からの一つ一つの気づきである。
霊格が高まれば、精神的な意味で存在力が高まり、他者の心を満たす創造力も高まり、心の気づきが多い分だけ物事を見る視野も広がりやすくなる。この話は、難しい話ではなく精神的な意味で大人になる話だ。
霊格が低いとは、精神的な意味で存在力が弱く、他者の心満たすよりも自分の心が満たされたい気持ちを優先になりがちであり、心の気づきが少ない分だけ物事を見る視野も狭くなりがちになる。この話も難しい話ではなく、精神的な意味で子供だ。
日本の教育は、知識の一つ一つの気づきのみに価値を置く傾向が高く、心からの一つ一つの気づきに力が弱く、霊格が低い大人が現れやすくなるのも当然である。
私の子供時代は、日本の製品に対して誇らしげにあったものであり、海外の製品は、どちらかと言うと二流の価値観として社会的な風潮があった。
現在は、海外の製品に対して抵抗感が弱まっているものであり、日本のイノベーションが弱い現場について当然であろう。
心の成長である霊格の成長、心からの一つ一つの気づきは、自然界において絶対的な法則でありそれ以外に術がない。
日本の社会的な価値観として、ペーパーテストの点数が高ければ人として価値が高い社会的な風潮があり、この価値観に改める姿が現れなければ、今後、日本のイノベーションについて期待することができない。
もちろん、霊格が低い人々が現れやすくなれば、何かと社会的に弊害が現れやすくなるものであり、日本の教育に問題を提起する人々の少なからずいるものである中で教育に改革が現れる可能性も少なからずある。
ただ、ペーパーテストの点数が高ければ人として価値が高い社会的な風潮、特に、社会人として上の立場に立つ人も現れやすく、自分自身が否定されることに抵抗感も現れやすく、ここがイノベーションを起こす弊害となっている状態でもあるであろう。
少なからず、日本人としての血の中には、創造力が秘めているものであり、ここに期待できる未来があるかもしれない。