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地球とは何か?光と影の芸術作品とも呼べるかも

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・ 地球 / 芸術作品 (主.キーワード)  地球とは何か?光と影の芸術作品とも呼べるかも  光あるところには必ず影があり、地球は、光と影の芸術作品だと言われる場合もある。光だけの世界をイメージしてみればわかるであろう。その世界は光しかないため、そこには光との差の物は無く、それが光かどうかの確認すら不可能だ。 物事が存在するには、必ず差が必要であり、差がなければ存在することすらできなくなる。 少し難しい説明かもしれない。例えば、白黒画像に対して、全て光の白のみにしてしまうと、その画像は真っ白になり何もかも消えてしまう。影である黒も同じく、全て、黒く塗りつぶしてしまうと、そこには何も描かれなくなってしまう。 物事が存在するためには、白黒の様に、最低、2つ以上の要素が必要になるのだ。そのため、どのような素晴らしい天国であろうとも、どの様な地獄であろうとも、光だけの世界もなければ、暗闇だけの世界もない。 地球が、光と影の芸術作品だと言われているのは、モノとしての芸術作品だけではなく、人の精神に対しても芸術作品だと呼べるであろう。 地球は、英語で訳すと、earthという文字で表すことができる。これは中学校までに習う英単語でもあるため、誰でも知っている英単語のはずだ。 一説によれば、このearthと呼ばれる英単語には、秘密の言葉が隠されていると言われている。 このearthのeは、Edenのeであり、hは、Heavenのhと呼ばれ、中のartは、アートと考える人もいるのだ。つまり、エデンとは大地を現し、ヘブンとは天国を表し、地球とは、天と地の芸術作品であると考えられている。 天と地は、全く相反する姿があるであろう。これは、そう思う所とそう思わない所と判断もできる。 地球というのは、創造主によって、そう思う所と、そう思わない所の、バランスを意識した、芸術作品だ。 人は、神に対して祈りを捧げる姿がある。中には天までとどけと願う人もいるであろう。実は、創造主の思い、心は、自然の中に刻まれ込まれているものであり、自然に意識を向けることで、創造主の心に触れることも出来る。 このような話をすれば、自然というのは、ただの物質的な内容ではなく、心に溢れているものであり、今までの世界観が変わるのではないであろうか。 植物などを育てると、より創造主の心について実感出来る

宿命と運命の違いは、宿命は変えれない?運命は変えれる?

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・ 宿命 / 運命 / 違い (主.キーワード)  宿命と運命の違いは、宿命は変えれない?運命は変えれる?  宿命と運命の違い は、言葉の意味として意味に違いがある。 スピリチュアルの世界では、宿命と言う言葉と運命と言う言葉が扱われている。その言葉の意味について、少しばかり考えてみたいと思う。 宿命と運命の違いは、 一般的にスピリチュアルの世界において、宿命は変えることはできないが、運命は、努力次第で変えることができると言われている。 宿命というのは、生まれて持った国籍や、両親との関係や家族などの関係、性別なども生まれてきた宿命だと言われる場合もある。 運命は、自分が努力してあるべき姿の現在であり、努力次第では、現状を変えるだけの力もある。何もしなければ、その姿に変化は現れず、運命を変える事は出来ないと考えられている場合もある。 宿命と運命の違いは、 運命という言葉が、命を運ぶと書き、その命の運び方を決めるのは、自分自身の意思だと考える事もできよう。宿命というのは、命に宿っているものであり、自分自身を表している姿だとも言えるかもしれない。 これは分かりやすくイメージすれば、私たちの人生というのは、船に乗って川下りを行っている物であり、船そのものは変えることはできない宿命と考えることもできる。 この内容は、一般的に考えられている宿命と運命の違いである。 私自身は、全ては宿命によって、何もかもが成り立ってるように考えさせられてしまう場合もある。 霊能力者の方の中には、未来の出来事を言い当てる人もいる。私自身も、未来に対して当てられた部分がある。 1人でも未来の出来事を、ありえない内容として当てた場合、全てはそのような結果になるように、人の運命というのは決められている内容ではないかと考えさせられる場合もある。 仮に、運命を変えることができるとするならば、1人の運命が変われば、その人に関わる周りの運命も変わり、ドミノ倒しのように、多くの人の運命が変わることになる。 一般的に考えれば、1人だけの運命が変わるのではなく、努力次第で、多くの人の運命が変わってしまう可能性もある。そうすれば、さらに、ドミノ倒しのように多くの人に影響を与え、未来と言うのは、誰1人当てることができない、不確定要素の高い未来が現れると考えられる。 現に、私自身も、霊能力者の方に未来を

自己と自我の違い!哲学的に幸せとは何か?

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・ 自己 / 自我 / 違い (主.キーワード)  自己と自我の違いは?!哲学的に幸せとは何か?  自己と自我の違い は、同じ自分自身を表す言葉として分かりづらいかもしれない。 人の基本的な精神には、自己と呼ばれる精神と自我と呼ばれる精神がある。自己と自我の違いについてと、自己と自我から人の幸せとは何かについて考えてみたいと思う。 自己と自我の違いは、自己も自我も自分自身を表した言葉だ。一般的には、客観的に自分を表している姿を自己と呼び、それを意識している物を自我と呼んでいる。 これは少しわかりにくい表現かもしれない。 例えば、お腹が痛がっているのは自己であり、痛いと自覚をし認識しているのは自我である。自我が強ければ、我慢することができる。 自己と自我の違いは、体をロボットで例えるならば、自我というのは運転手であり、自己というのロボットそのものと呼べるかもしれない。 自己実現という言葉がある。自分自身に対して何かしらの目的を持ち、自分自身を目的に合わせて作り上げる言葉でもある。 幸せというのは、何かしらの目的をもちあわせ、自己を目的へと達成させる姿であろう。 人が幸せを感じる価値感は、人それぞれであるが、一般的な幸せについて考えてみよう。 宝くじが当たれば、人は喜び幸せを感じる場合もある。お金というのは人が求めるものであり、お金には意識される価値がある。お金を使えば、様々な自己実現も叶えやすくなるはずだ。 何かしらを成り立てさせ、人々から注目を浴びると幸せを感じる人もいる。 好きな人と、一緒になることができれば幸せを感じられる。 自己と自我の違いは、自分自身に力が身につくことで、幸せが現れる場合もある。何かしらの資格を取得すれば、嬉しくなる場合もあるであろう。 幸せというのは、目的を持ち、それを達成させ、自分自身が存在しているという意義を強く感じる事にある。 人から疎外されたり、目的が中々達成されない場合は、不幸を感じてしまう場合もあるかもしれない。親しい人が亡くなり、その方から意識されなくなってしまうと、当たり前の話として辛い思いを感じる人もいる。 暴走族などは、深夜に騒音を出しながらバイクで乗り回す。無人島で行ってもそれほど楽しい内容ではないはずだ。 良くも悪くも騒音を出すことによって、人々から意識され、そこに自分の存在感を強く感じる場

集合的無意識に関わるアニメは、人々から受け入れられている?

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・ 集合的無意識 / アニメ (主.キーワード)  集合的無意識に関わるアニメは、人々から受け入れられている?  集合的無意識に関わるアニメ は、人の心理を付いているだけでは無く、本能が共感しているであろう。 スピリチュアルに関心の高い人や、大学なので心理学を学んでいる人は、すでにご存知かもしれないが、集合的無意識と呼ばれる言葉がある。 集合的無意識という言葉の意味は、インターネットで調べていただければ直ぐに確認することができるであろう。ここでは、簡単な説明をさせていただく。 人の記憶というのは、個人だけが経験した者だけではなく、心の奥底は、全て繋がってると言われ、その繋がってる世界には、全ての人の記憶が貯蔵されているとも言われる。その世界を集合的無意識と呼んでいるのだ。 その集合的無意識というのは、ただ記憶が収まっているだけではなく、その集合的無意識から情報を引き出し現世に影響与える場合もある。 例えば、ミツバチは、学校にも通っていないにも関わらず、見事に六角形の巣を作り出すことができる。ミツバチが、集合的無意識にある巣を作るための情報にアクセスをしているためだと考えられているのだ。 集合的無意識とは、無機質な物のようにと考えてしまう人もいるが、意識を持ち合わせている意識体とも言われている。集合的無意識を、神として考える場合もあれば、あの世の世界だと考えられてる場合もある。 分かりやすくイメージをするならば、私たちが海の上でプカプカ浮かんでいるような姿であり、海の底が全て繋がってるようなイメージだ。魚達は、高級霊や先祖霊と呼べるかもしれない。 オカルト的な話のように見えてしまう場合もあるが、実は、集合的無意識に関わるアニメは数多くあり、オカルト色は低い中でのそのアニメは意外にも知られている話も多い。そのアニメについて紹介させていただこう。 集合的無意識に関わるアニメは、 エヴァンゲリオンと言うアニメの中に、この集合的無意識に関わる話がある。全ての人の意思を1つにする人類補完計画などもその一つであり、主人公は、人々と分かり合いた思いと、その逆の個性との間で葛藤を起こす内容などもある。 集合的無意識に関わるアニメの 集合的無意識というのは、人々の心が触れ合い、人々を知る力があるが、個性を失うことで自分自身の存在が失ってしまう可能性も高

勉強でやる気が出る方法は?人が死に旅立つまで意味が深い!

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・ 勉強 / やる気 (主.キーワード)  勉強でやる気が出る方法は?人が死に旅立つまで意味が深い!  勉強でやる気が出る方法 は、何かと約つに立つため押さえておいた方が良いであろう。ここでは、勉強がやる気になれる方法と、勉強は死ぬまで役に立つ、意味と意義がある内容について紹介させていただこう。 まずは、勉強がやる気になれる方法だ。そもそも、赤ちゃんの脳は、様々なことを知りたく、知識欲の塊である。勉強嫌いになってしまう主な理由は、子供の育て方に原因がある。 子供を叱るということは、世の中に対して、学んではいけないものがある、興味を抱いてはならないものがあると判断をしてしまう場合もあるであろう。 火を持って遊ぶ内容や、刃物を持つ内容などは、しつけによって叱りながら身に着けさせていかなければならないが、それ以外の内容に対して叱る姿は、子供の脳にとっては、世の中に対して、興味を抱いてはならないと錯覚起こし、積極性を失う中で勉強嫌いになってしまう場合もよくある話である。 勉強でやる気が出る方法は、 世の中を学ぶことに対して価値を置き、知ることの喜びを感じることがポイントだ。 子育てにおいては、子供が訪ねてくることは、積極的に応えてあげるのが望ましい。どうしてもわからない場合は、百科事典などを与えておくのもよいであろう。子供に考えさせる力を身につけさせるために、親が知ってることを、知らないフリとして、子供に尋ねてみるのもポイントである。 子供は、飽き症だ。これはただ飽きたのではなく、その玩具は、すでに学習をし、次の学習を求めている場合もある。ブロック遊びは、様々なものに形を変えることができるため、玩具のブロックを与えてあげるのも良いであろう。 一般的に、小さな時からブロック遊びをする子供、百科事典などを与えておく子供は、一般の子供よりも、頭が賢くなりやすい傾向にある。子供の知りたい欲求を大切にする家庭も、頭が賢くなりやすい傾向にある。 私の子供は頭が悪いと言っている人は、子供に問題があるのではなく、親としての自分自身に問題があるのもよくある話だ。 このような話をすると、勉強がやる気になれる方法は、子供時代に原因があり、もう手遅れだと思えてしまう人もいるかもしれない。 勉強でやる気が出る方法は、 ある東大生の話によれば、私は別に頭がかしこかったわけでは

束縛をする心理は?嫌う心理は?束縛されたい心理について

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・ 束縛 / 心理 (主.キーワード)  束縛をする心理は?嫌う心理は?束縛されたい心理について    束縛をする心理と嫌う心理 は、束縛されたい心理について何に違いがあるのであろうか。人の心理の中には、相手を束縛したい、束縛されるのが嫌、他人から束縛されたいと思われる心理が隠されてる場合もある。何かしらのトラウマを抱えるなかで、そのような心理が現れる場合もあるが、ここでは、心理的なエネルギーについて考えてみたいと思う。 束縛をする心理と嫌う心理は、 当たり前の話であるが、この三つの心理には、自分自身と相手の姿がある。人を意識する姿もあるであろう。 まずは分りやすい話として、相手を束縛したいとい心理と、他人から束縛されたい心理について紹介していただく。 相手を束縛したいという心理には、束縛するための力が必要であり、自分の存在を示すためには、力のある姿を示したい潜在的な欲求が隠されてる場合もある。力を求めたい傾向の持ち主だ。 他人から束縛されたいというのは、逆に、自分自身に力が足りなく、支えて欲しいという思いが隠されている場合もある。危険な姿から大切に守ってほしいという潜在的な欲求が隠されてる場合もあるであろう。 束縛というのは、マイナス的なイメージのある言葉であるが、良い言葉に置き換えるのであれば、相手に与えたい、相手から受け取りたいと表現を変えることもできる。 相手の存在を求めるというのは、存在に対する考えが現れる。なぜならば、逆の発想すると、自分自身を存在させるためには、相手を束縛しなければ自分自身は存在することができず、相手から束縛されなければ、自分自身は存在できないという不満が隠されている。 したい、されたいという思いは、ただの欲求ではなく、今の現状に不満が隠されてる事にもなるであろう。 存在には、2つの考え方が存在する。他者から客観的に自分自身を見てくれることで、客観的に自分の存在を確認できる存在感だ。もう一つは、他者と違う姿を自ら作り出すことで、特徴としての存在感がある。 束縛したい心理と、束縛されたい心理は、他者から客観的に意識をしてもらい、自分の存在意義を感じるタイプであり、極端な話、客観的に意識をしてもらなければ、自分自身の存在が確立できない思いなどもあるであろう。 束縛したい心理、もしくは束縛されたい心理を持ち合わせてる