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人の心は、体のどこにある?愛はどこ存在する!?

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・ 人 / 心 / 体 (主.キーワード) 人の心は、体のどこにある?愛はどこ存在する!? 人の心は、体のどこにある?愛はどこ存在する!?  人の心は、心について考えようと思ったのは、昨日、瞑想のコツについて投稿をさせていただいた後に、心の場所について考えた中で疑問に思ったためでもある。そのため、昨日の続きの様な形として、自分自身の備忘録の様に言葉を残したいと思う。 様々な考えが頭に浮かんでくるため、どこから手をつければ良いのか少しわ分かりづらいが、まずは、 自分自身に向けてではなく、他の方が、この文章を読まれているのではないかと思われる中で、話をさせていただきたい。 心という言葉は、一言で表すことができるが、よくよく考えれば、様々な内容に分けれるかもしれない。例えば、自分自身を表す心、感情を生みだす心、考える心、 美味しいと思う心などもあるのではないであろうか。 人の心は、体のどこにあるでの、ここで扱う心は、瞑想に良い影響を与える心 であり、 愛を感じる心について取り扱いたいと思う。 一般的に、人の心は頭にある脳みそが作り出していると思われている場合もあるはずだ。 ただし、頭の脳みそで愛情を感じたり、感動したりはせず、どちらかと言えば、心臓がある胸の辺りで感じる場合がほとんどではないであろうか。 理系的な考えで言えば、心臓をコントロールしてるのも脳であり、脳の中の心臓を司る部分辺りが、脳の中で感動を作り出していると考える人もいるであろう。 ただし、この様な話が実際によくあるらしい。その話と言うのは、臓器移植、特に心臓を移植した人は、 提供をした人の性格が本人に現れやすくなる話もあるのだ。例えば、全く嫌いだった食べ物が、提供した人が好きだった好みに変わる話しである。 理系的な目線で研究している科学者の中には、臓器は人の性格を記憶すると考えている人もいる。近年は、人の心は脳だけでは説明ができず、体全体が、心だと解釈されている場合もあるのだ。  人の心は、体のどこにある、本当の心を持つ本体は、別の次元に存在している  人の心は、体のどこにあるについて、スピリチュアルや、オカルト的な話になれば、違った考え方も存在する。本当の自分は、別の次元にいる中で、違う次元にいる本体から切り